私は、34歳でオヤジの経営する小さな工場で働いています。社員は親父を入れて6名の小さな工場。私の肩書は営業部長です。営業と言っても、現場で作業もします。

リサイクル関係の産業用機器の部品をメインで作っているのですが、最近は細かな注文が多い割に、儲けが少ない。貧乏暇なしとはよく言ったもので、8時から22時まで働いても、近年は不景気で手取り20万ほど。2人の小学生の子どもを持つ親としては、頼りない収入です。

しかも昨年、1年以上の別居の末、妻と別れました。

妻とは、同じ大学の同級生で、卒業してから3年ほどの交際期間を経て結婚しました。交際期間といえば聞こえは良いですが、実際はウチのオヤジが反対し、長女を身ごもったことから、なし崩し的に結婚に至ったわけです。

いわゆる「できちゃった婚」、今でいう「授かり婚」ですね。

オヤジの反対の理由は、工場の経営者の嫁としては線が細かったことと、少々あか抜けた感じが気に入らなかったとのこと。

今思えば、オヤジの反対はその通りだったのだと痛感しています。

結婚して、すぐに出産。育児などもあり、妊娠中から出産後まで、空気の悪い工場には一度も来たことがありませんでした。私も妻の体に障るからと少し遠ざけていました。それがいけなかったのかも知れません。

結局、一度も工場に来ることもなく、長女が2歳になる前に2人目の子どもができ、ますます工場から遠ざかる。。。

特にオフクロが、私がお腹にいた頃も、まだ赤ん坊だった頃も、よく工場の方に来て、差し入れや、時には簡単な作業を手伝っていたから、オヤジやオフクロからすると妻の「関係ないです」といった姿が気に入らなかったのでしょう。

それでも、盆正月には実家で過ごしていましたが、下の子が幼稚園に入ってからも工場に来ない妻に対してギスギスとした雰囲気になり、やがて妻は実家に来なくなりました。

実は私も、しがない町工場で働くのは嫌で、内心、諦めにも似た感覚だったので、妻の息苦しさは理解していたつもりです。工場に来なくても、実家に行かなくても、育児さえしっかりしてくれれば良いと思っていました。

そう。一昨年の夏までは。

町内会の盆踊り大会で、商店街の中にあるパチンコ店からも協賛をもらおうとお願いに寄った時、我が目を疑いました。妻がいたのです。

時間は17時過ぎ。平日なので、そろそろ小学生の子どもたちが返ってくる時間。夕食を作らないと間に合わない時間です。

私は賭け事が嫌いだったので、競馬やパチンコなど一度もやったことがありません。

だからか、一瞬、別人かと思いました。

でも、服装は妻のもの。ひざの上のバッグも、前の年の誕生日で妻にプレゼントしたものでした。

その時は、動揺して、声をかけることもできずにそのまま工場へ。仕事に身が入らない。

いつもパチンコに行っているのだろうか?子供たちはどうしているのだろうか?お金はどうしているのだろうか?

今日はたまたま、ママ友さんに誘われていたのかも知れない。そんな風に都合の良い方に考え、帰宅。妻にそれとなく夕方どこかに外出してみた?って聞いてみると、急な買い出しでスーパーに行ってたって言われました。そのスーパーは商店街とは逆方向にあるにも関わらずです。

怖くなって、次の日の朝、長女に家でちゃんとご飯は食べてるのかって聞いてみると、

「いつもちゃんとコンビニで好きなものを買って食べてる」
「お母さんは?」
「いつもいないよ」

という、想像だにしなかった答えが返ってくるではないですか。

毎日、小学生の子ども2人、千円札を渡されて、コンビニでおにぎりやジュースやお菓子を買って食べている。朝から晩まで工場にいる私は知らなかったことばかりで、愕然としました。

妻に問いただすと、観念したのか、次々にこれまでのことを白状しました。驚愕の事実。妻は、ほぼ毎日パチンコに行っていたばかりか、なんと200万円ちかくの借金をかかえているというではないですか!?しかも、私名義で勝手に消費者金融から借入を組んでいたのです。

しかも、逆ギレして私にも「あんたが何をしてくれたっていうのよ」などと怒鳴りちらしてくる始末。子供の前でですよ。そして、そのまま子供たちをおいて出て行ってしまったのです。

あきれると、逆に冷静になるもんですね。当初はウチの実家でのストレスもあり同情する思いもありましたが、もう完全に冷めてしまいました。

その後、実家に帰っていた妻とご両親と、何度か話し合った結果、離婚という結果になりました。といっても1年近くかかりましたが。

妻が再出発するにも、また、子どもたちを妻に任せておけないという思いもあり、2人の子どもたちは私が引き受けることになりました。

でも、借金は私名義のため、私が払うことに。。。手切れ金として仕方がないと自分に言い聞かせています。

可愛そうなのは子供たちで、ほとんど母親の手料理を食べたことがないまま、小学校の中学年までを過ごしてしまいました。

今後、しっかりと自分が育てなくては!っと思うと同時に、今の収入を少しでも上げるよう努力しようと考えています。

少し暗くなる内容でしたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。